<作者から>
形そして気
ずいぶんと昔から 遺跡 を造ってみたいと。
昨年より遺跡に向かう考え方も頭の中で動きだし、形:気 共に少しずつ整いつつある。
遺跡というと。古代ローマ円形闘技場コロセウム、神殿パルテノンなどが頭に浮かぶ。
私の町、沼津でも城跡として石碑が建立されている。しかしその原型すら解らず、平らに整地された野原のみで…これでは人に伝わらない。
なにかひとつ・ふたつ 石積が現存していれば、それだけで私はすごく楽しい。
それは行く先・・追いかけるという想像力・・幻想のなか、かきたてるからである。
遺跡について、私なりの方向性 二つ考察してみた。
ひとつは、原型 失っても想像するにあたいする遺跡
もうひとつは、眼に入る日常感から、ふとみえる。遺跡になる風景
すなわち 1:過去~現在
2:私の伝えたい未来の遺跡、風景とでも言おうか。
遺跡は、元ある本来の形など、取り戻そうとしている・何故か、伝えたいもの、意識・感もしくは新しい形への変容など、望んでいるのかもしれない。
何んにせよ。私からすると、えらく楽しい。 少し手伝ってみようかな。
私にも、お役に立てることがありますか。問いかけてみる。
それから、私の見える形・遺跡も。
精一杯生きて、表現する。何かまた、楽しいことが、できたようで・・・造る想いかきたてて・・また楽しい。力はまだまだ足りないが。
遺跡と遺跡になる風景 追いかけてみる。 |